「水牛」の前身は、伝説のミニコミ誌と言われた「水牛通信」でした。水牛通信は、高橋悠治らのバンド「水牛楽団」の活動の一部として1980年に発刊されました。
水牛楽団は、軍事クーデター下にあったタイの抵抗歌を紹介するため78年に結成され、ジット・プミサク作詞作曲「牛鈴によせる恋歌」や、高橋悠治が古本屋で見つけ心を動かされた中屋幸吉の詩に曲をつけ、演奏しました。85年に惜しまれつつ解散しました。
現在は、水牛 webマガジンで活動しています。